聴覚障害児の弟を持つ吉田松陰が出会った唯一の成人聴覚障害者は谷三山
現代において、健聴の夫婦は子に聴覚障害を抱えていたら、失望し、涙を流した夫婦が少なくないのだろう。まず、子の耳が聞こえない事を診断した医師から補聴器・人工内耳の装着するように勧められる。又は聾学校や難聴学級を紹介されるなどの対応をしてもらうことになるのだろう。
日本にまだ聾学校がまだ無かった時代に吉田松陰が出会った唯一の成人聴覚障害者は谷三山のみである。黙霖とは往復書簡のやりとりはしたが、対面しておらず、出会ったとは言えないのです。
聴覚障害児である杉敏三郎という弟を持つ吉田松陰にとってのロールモデルは谷三山と黙霖の2名であったのは間違い無いであろう。
現代において聴覚障害児本人・聴覚障害児を持つ親にとってのロールモデルは聾学校に勤務している聴覚障害を持つ教員・デフリンピックに出場した聴覚障害者・ろう文化で活躍している聴覚障害者などである。幕末においてこの様に幅広く活躍した聴覚障害者はほぼおらず、活躍したとしても寺小屋での先生位であろう。だから、聴覚障害児を持つ親にとっては子が成人してから活躍できるとは思っておらず、金がある家庭では聴覚障害児・聴覚障害者が亡くなるまで面倒を見るしかなかったという有様だったし、金が無い家庭では親が亡くなると聴覚障害児・聴覚障害者は乞食として生きていかねばならない有様だったのです。
吉田松陰の弟である杉敏三郎も例外ではなく、両親・長兄・長兄の子に世話してもらいながら過ごすという有様だったのです。
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