吉田松陰と関わり、聾社会の形成及び発展に影響を与えた人々
山尾庸三(子爵)
吉田松陰との直接的な関わりはあまり見られないが、吉田松陰の門下生達と共に行動する機会は多かった。イギリスに留学時、造船所で働く聾唖者を目撃し、後に楽善会訓盲院(後の東京聾唖学校)を開校する動機の一つになった。
大正4年に設立された日本聾唖協会の総裁に就任された。
楫取素彦(男爵)
吉田松陰の親友であり、吉田松陰が主宰する松下村塾に間接的な援助を与え続け、自ら、教壇に立つこともあった。
吉田松陰の次妹寿と結婚し、寿没後は吉田松陰の末妹文と再婚する。
一時期、吉田松陰の聾唖の弟である杉敏三郎の面倒を見ていた。
足柄県参事、熊谷県権令を経て、明治9年に(第二次)群馬県県令(初代知事)となり、群馬県の発展に貢献した。その群馬県で昭和22年に全日本ろうあ連盟結成式が行われた。
野村靖(子爵)
吉田松陰の門下生の一人であり、神奈川県権令及び県令・駅逓総監・逓信次官を歴任し、枢密顧問官、駐仏公使、内務大臣、逓信大臣等を歴任した。
兄である入江九一は共に松下村塾に入塾し、入江九一は久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿と並んで松門四天王の一人として数えられており、禁門の変で戦死された。
妹であるすみ子は伊藤博文の最初の妻となっている。(後に離縁)
楽善会会友及び東京盲唖学校商議員となっている。
次女であるゆきは楽善会訓盲院に入学し、後に東京盲唖学校唖生同窓会2代目会長に就任した。
ゆきが84歳の頃、三浦浩が連れてきた伊藤政雄と対面を果たした。
吉田松陰の門下生で聾社会の形成及び発展に協力した人は他にもいるかも知れないので、詳しく調査してみる必要はあります。
参考文献
【エピソードでつづる 吉田松陰】
【筑波大学付属聾学校同窓会史】
参考サイト
山尾庸三(Wikipedia)
楫取素彦(Wikipedia)
野村靖(Wikipedia)
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