聾唖会館の寄付金5千円の行方についての考察

 「藤本敏文」によると昭和5年頃に池袋に聾唖会館を建てる為の寄付金6千円が集まったが、その内の5千円が消失してしまい、残ったのは千円であり、池袋で買った土地を手放す羽目になってしまった。

 そして、昭和6年4月3日に東京聾学校内に聾唖会館を建て、開館する事になっています。

 「大家善一郎の回想」によると寄付金の内の5千円と池袋で買った土地を手放したのは川本宇之介と樋口長市の2名が勝手にやった事であり、三浦浩は黙ってついていくしかなかったと証言しています。

 そこで気になる事があります。東京聾唖学校は官立であり、東京聾唖学校内の土地と建物は国の所有物という事になります。国の所有物である東京聾唖学校内に聾唖会館を建てるには国からお金を出す必要が生じる事になります。また、聾唖会館を建てる際、日本聾唖協会単独ではなく、東京聾唖学校同窓会との合同にしていた事が大家善一郎にとっては疑問を抱いていたそうだ。日本聾唖協会の完全な所有物件ではないという事にしたかった事になります。

 日本聾唖協会を社団法人にする際、三浦浩と藤本敏文と樋口長市と川本宇之介の4名が設立代表者となっており、樋口長市と川本宇之介は三浦浩を何らかの手を使って、三浦浩を加え、藤本敏文1名と三浦浩・樋口長市・川本宇之介の3名と1対3となり、代表者3名で寄付金5千円を消失し、池袋で買った土地を手放すという事を強行していったのではないか。

 消失した寄付金5千円の行方について、私なりの考察を考えてみました。まず、日本聾唖協会に寄付金6千円が集まり、池袋で土地を購入した。しかし、樋口長市と川本宇之介が寄付金の内、5千円を一旦、文部省に預けておいたのではないか。だから、藤本敏文らがいくら調査しても消失した5千円がどこに行ったのかは分からないままだったと思います。東京聾唖学校内に聾唖会館を建てるには5千円が必要だったのではないかと考えてみると文部省に一旦預けておいたというと流れを仮定する事が出来ます。この一連の流れに対し、大家善一郎は納得できず、非常に怒っていた様です。聾唖者達が決めるのではなく、一部の聴者にいい様に利用されている事に我慢ならなかったと思います。


 ここで私が気になる事があります。理事会の決議を経ずに樋口長市と川本宇之介は独断で寄付金5千円を文部省に預け、その5千円を使って東京聾唖学校内に聾唖会館を建てた事は合憲となるのか、違憲となるのかという事です。横領に当てはまるのか、当てはまらないのか、当時の大日本帝国憲法に照らし合わせてみないとどうなるのか、気になる所です。


参考文献

  • 【藤本敏文】
  • 【大家善一郎の回想】
  • 【筑波大学付属聾学校同窓会史】
  • 【川本宇之介の生涯と人間性】