日本式口話教育VS欧米式口話教育

 西川吉之助、橋村徳一、川本宇之介に関する文献をいくつか読んでみたら、三人が求める口話教育は一致していなかったのではないかと感じられるようになってきた。

 西川吉之助と橋村徳一は日本人に、日本の文化に、日本の教育に合った口話教育を展開していきたいと考える現場主義だったと思う。一方、川本宇之介は欧米の最先端の口話教育を導入して展開していきたいと考える理想主義だったのだろう。

 その方針の違いが3人の仲に亀裂を生じる遠因となっていたのではないかと思う。

 第二次世界大戦後、川本宇之介は相変わらず活動しており、西川吉之助は故人となっており、橋村徳一は静かに暮らしていた事になっています。この状況を見てると西川吉之助と橋村徳一は川本宇之介の方針に反発したが、文部省との繋がりが深い川本宇之介の権力の前に敗れ去ってしまったのではないかと思う。

 こうして、日本の聾教育は欧米式の口話教育が取り入れられるようになり、特にアメリカからの口話教育の方法が次から次へと輸入されられる有り様になってしまった。失敗しては新しいのを取り入れて、失敗したら新しいのを取り入れるという繰り返しだった。

 もし、西川吉之助と橋村徳一が川本宇之介に勝っていたら、日本の口話教育は違った形になっていたかも知れません。


参考文献

  • 【聾教育問題史】
  • 【聴覚障害教育コミュニケーション論争史】
  • 【口話教育の父 西川吉之助伝】
  • 【川本宇之助の生涯と人間性】
  • 【聾教育学精説】
  • 【日本聴力障害者新聞縮刷版1巻】
  • 【聾唖界】


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