昭和12年、秋田県教育大会におけるヘレンケラー女史講演

写真説明

13日、記念館における教育大会(上)とケラー女史講演

左からケラー女史、英訳するトムソン嬢、日本語訳する岩橋氏



平和への愛を

光なき者に注げ

県教育大会における

ヘレンケラー女史講演要旨


 来賓の諸君、それから先生方、学生の諸君、まず、私はあなた方から頂きました。美しくそれから心の籠った歓迎の言葉に対して心から御挨拶致します。それから、この秋田県が私に下さった処のかかる行き届いた歓迎に対してお礼を言わねばなりません。もしも私があなた方から期待されていること、即ち、日本にある肉体的ハンディキャップの悩みを持つ人に希望の灯を掲げるこの仕事を幾分でもご期待に添い得たとすれば、私は闇の沈黙の盲であったとは思わないのです。

 さて、今日、この進歩的な街、秋田の県市民諸君の前でお話しすることの出来ることは私にとって幸福であります。この土地の盲唖学校では私の誕生日を私の知らぬうちに記念して、いつも毎年まもっていて下さったということは何と行き届いたご親切かといまさら感謝にたえません。私は常に申しているのでありますが、たとえ、私は眼も見えず、耳が聞こえずとも幸福であり得られるということを申し上げたいのであります。それのみか、この世界において、尚、美しい美を発見し、また大いなる楽しみをも見出し得るということが出来ることを申し上げたいのであります。

 のことがどうして可能かと言えば、私共が巡り合う人生、或いはこの人生の不都合をひとつのよき機会を作る転機としてこれを迎えるか、迎えないかということにおいて決定出来ることであります。今日、ここで皆様方、特に若人方、学生諸君に申し上げたい。私のメッセージはこうであります。

 「あなた方自身のうちに天から頂いている力に対して確信を以て頂く」

ということです。その次にあなた方がが果たしていかなることに、いかなる最善をなされるかということで見出してほしい。見出したら、その自分のうちにある力を以て、それを最高まで成就し、遂げて頂きたいのであります。

 我々は大きな事業を完成しようとする時に必ずしもよき肉体、或いは物的に恵まれているということには限らないのであります。私は秘かに思います。もし、塙保巳一先生が目を完全にしていらっしゃったとすれば、即ち、眼があいていたとします。果たして、あれだけの大学者になっていられたでしょうか。これは疑わしいと思うことであります。また、野口英世博士が身体の一部に欠けている所、即ち、不具でなかったとしたら、果たして、あれだけの大事業を人類に成し得たか。これも甚だ甚だしい点があると思います。

 若人達はやがて、実社会に出て、その傷ましいその苦しい現実に直面される日があると思います。しかし、その時、あなた方、学窓にあったとき、或いは若かりし日に持っていた理想の世界を忘れないで、その現実の世界の上に掲げてほしいことであります。学校を程なく出る学生達、或いはそうした境遇にある若人達よ、願わくばあなた方は一つの大きな決意を固めてほしいことであります。それはほかでもありません。例え、成功しようと、失敗しようと、成功不成功を眼中におかないで、なさねばならぬ。義務を最善を以てやり通すという決心をつけて欲しいことであります。これさえあれば、必ず、人生は成功する。そして、自分の愛する母校、または国に最大の信用と名誉とを輝かすことが出来ると私は敢えて思うのであります。終りに次のことを一般の方々に対して、お願い致したい。即ち、惜しみなきあなた方の助けを以上申した私の精神からお感じになったでありましょうが、この上とも眼なきもの、耳なき愛する同胞のために奉げて頂きたいことであります。そして、これらの盲聾唖の人々をして社会の有用な一員として役立つところに立たしめてほしいのであります。そして、彼らの肉体上の不都合を転じてよりよき人生完成への出発とするように重ねてお願い致すのであります。

 あなた方の肉眼にある光、あなた方の耳に聞こえる美しい音を以て神に、天地に対する感謝はこの眼なき耳なき友を助ける以外にないと思います。


【秋田魁新報 昭和12年6月14日(月) 朝刊2面】より引用