ヘレン・ケラー教育賞を受賞した時の大原省三先生の記事

ヘレン・ケラー教育賞を受ける

大原 省三さん


 どう話しかけようかと戸惑ったら、スッとわら半紙を差し出された。質問は、すべて筆談。半分も書かないうちに、言いたいことがわかって、答えが返ってくる。

 ヘレン・ケラー教育賞は、障害者教育に功績のあった人に毎年贈られる。大原さんは耳の不自由を克服して絵を学び、四十年近く母校の筑波大附属ろう学校(千葉県市川市)で絵の指導に力を尽くしたのが、認められた。

 九歳の時にかぜをこじらせ、高熱を出した。治った時には、聞こえなかった。十三歳で秋田から上京、ろう学校に入り、絵の勉強を始めた。

 もともと好きだったし、自立のために技術を身につけなくてはいけなかったからだ。

 卒業後、母校で絵を教えた。日展で、十人近い教え子を一度に入選させ、話題になった。イラストレーターや焼き物の絵付けなど様々な分野で自立している卒業生も少なくない。自身も、日展には三十二回の入選歴を持つ。

  「私にとって聞こえないことは、かえって幸せでした」と受賞の感想。「健常者だったらサラリーマンになって、妙な欲を出し、あくせくと競争に明け暮れていたかも知れない。この道以外に自分を生かす道はない。そう決めて、真っすぐに生きてきた」

  「盲人が優れた音感を持つように、私たちは色や形に敏感です。耳からよけいな物が入って来ないから、素直に物を見られる」。不自由や不便は、必ず克服できると体感。障害者であることを不幸と思うなと、学校で生徒や父母を励ましてきた。

  妻の晶子さん(60)は健常者。「なれそめは……」と、書いたところで、答えが返ってきた。「平凡な見合い結婚です。障害者と健常者の夫婦を珍しがる人もいますが、男と女という点では同じです。人間なんて、そんなに違いはないもんですよ」

(畑山 美和子記者) 


秋田県能代市出身。昭和17年、東京ろうあ学校(現筑波大付属ろう学校)師範美術科を卒業。同校助手などを経て36年から教諭。56年退職。日展会友。64歳。 


 昭和2年 秋田県渟城尋常小学校入学

 昭和7年 秋田県立聾唖学校転校(小6)

 昭和8年 東京聾唖学校中等部入学

 昭和16年 文展初入選

文展→日展 33回入選

昭和17年 光風会展 光風賞

昭和18年 光風会展 k夫人賞

昭和22年 東京教育大学付属ろう学校・筑波大学付属ろう学校

教諭として勤務

昭和45~57年 中央身体障害者福祉審議委員(厚生省)

昭和48年 博報賞

昭和53年 教育福祉賞

昭和59年 ヘレンケラー教育賞


朝日新聞 昭和59年6月26日(火)