昭和12年6月12日、秋田県へ到着したヘレンケラーの記事
(写真は左より岩橋氏、ケラー女史、トムソン女史、中山盲唖校長、熊谷同教務主任、山◆)
奇跡の聖女
ヘレン・ケラー女史
元気で秋田入
車中本社特派記者に語る
不幸なる人々への慰め
[羽後本荘にて林記者]12日午後波洗う日本海に沿う越路から来た列車を酒田で出迎え、「受難の世界の聖女」はライトハウス院長岩橋武夫氏夫妻の紹介で快く記者を引見した半黄金色の髪花模様のあるドレス今年57歳という温容溢れるばかりのヘレンケラー女子。連日の講演にすっかり疲労させられているらしい。それに拘らず女史が無限大の愛の手を差し伸べて「ワザワザアリガトウ」を唖者が語る奇跡の現示をもって数々の会話をしてくれる。
遠路で御疲れでしょう。秋田ではケラーさんを御迎えできることを大変喜んでおります。そして、ここでは女史と同様の苦しみの人達が3000人を超えますが、その人々の喜びだけではなく、百万県民の喜びです。と記者の出迎えの言葉に対し、今夜同伴者のトムソンが風邪にかかっていたのですが、是非とも「サムライの国のハンディキャップにある人々の為に行かなければならぬ。そして、その人々達の為、慰藉と激励を興し、よき理解者としてお話いたしたい。どうぞ、秋田にいられる一団とレベルの高い人から尊き同情と援護をケラーのような不自由な人へお願いいたしたい。これこそ、ケラーの三重苦が無駄でなかったことになるのです。どうそ、ハンディキャップの人々に対する奉仕の途を秋田の3000人の不自由な人々へ興し下さるようお祈りいたします。と秋田への愛の言葉を溜讃えられた記者はこの列車の走っている由利郡の亀田の山間部にも女史と同じ失明・失聴、そして唖者である10歳の少年が一人淋しくいる事実を語れば、本当に気の毒に事実です。私は胸が重くなる。と傍らの秘書トムソン嬢の唇に手を当て(読唇法)、その意味を語り、女史の顔は三重苦の聖女の感銘に満ち溢れるが如く、感激の表情で自分の優しい唇を動かすのであった。ケラーさん、あなたは今度の旅行で何を感じておりますか?とトムソン嬢が問えば、「おお、素晴らしい経験の一つです。」日々新しい美の啓示を感じ、人々の愛情はそれにも勝り美しく懐かしいとケラーさんは口に受けよどみなく現すのだ。遊佐駅を出る頃、ケラー女史、トムソン嬢や岩橋夫妻は駅弁に舌鼓を打ち、やがて食事を済んで岩橋夫妻、トムソン嬢がケラー嬢の掌へ指話に訳し込みながら、金浦はじめ各駅毎の歓迎の人達に一々「さようなら」「ありがとう」の感謝を与え、同9時6分新緑の秋田市に聖女はその第一歩を印したのである。
日程を変更
ヘレン・ケラー女史の日程はまたも変更され14日午前9時55分秋田駅発となったが、その前に盲唖学校を訪問する由
「タイヘン・アリガト」
聾生の花輪に感謝
秋田駅の感激場面
この夜、駅頭には世紀の謎、奇跡の聖女を迎えるため、全県をあげ、手に手にほうずき提灯を持っての歓迎。 伊藤学務部長、鈴木市長、石井県学務課長、柴田視学管、◆口県教育会副会長、鎌田県教主事、鳥崎日赤支部主事、若木愛婦支部主事などに在市牧師団、招致事務関係者を網羅し、ホームを埋め、その中に中山校長に引率された県立盲唖学校生徒らが級友と手を引きあって参列。この「我らの光明の聖女」を心からお迎えする可燐な◆仰の姿こそ際立って人の胸を打つ。やがて微笑みを称えたケラー女史は秘書トムソン嬢、大阪ライトハウス院長岩橋武夫氏夫妻、その他にかしずれ歓迎の渦の中を駅長室に入り、伊藤学務部長、鈴木市長、◆口県教副会長、石井県学務課長と握手を交わし、盲唖校5年生山◆こう子(15)さんから棒ぐる花束を「タイヘン・アリガトー」の奇跡の声もて感謝と共に受け、押しかけた記者団に「秋田犬が一匹ほしい」と愛嬌をふりまき、やがて用意の自動車で秋田の第一夜を宿舎なる小林旅館に入った。
【秋田魁新報 昭和12年6月13日(日)夕刊3面】より引用
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