徳川義親と川本宇之介の関係について

 徳川義親は徳川家康の末裔であり、聾教育、聾社会の発展に貢献した人物でもあるのです。

 徳川義親が聾教育に関与するようになったキッカケは西川吉之助、西川はま子親子が徳川義親の元を訪れ、西川吉之助が親子間での会話を徳川義親に見せてやり、徳川義親は涙したという。この様な出会いを契機に日本聾口話普及会及び聾教育復興会の会長を引き受けたのです。

 後に聾教育復興会は点数稼ぎする人ばかりになり、聾教育復興会の会長を辞した徳川義親が高橋潔宅を訪問し、聾教育について高橋潔と論戦を展開し、ついには高橋潔から「失礼ながら、あなたは馬鹿殿様です!」と言われ、これを聞いた徳川義親は自分が教わった口話教育が実践的では無かったと感じ、「負けた!」と立ち上がって叫んだのです。私から見れば、この「負けた!」と叫んだ瞬間に川本宇之介から掛けられた呪縛を解き放った瞬間だったのではないかと思います。

 徳川義親は川本宇之介から口話教育に関する事で言われ続けられ、高橋潔によって看破されるまで、口話教育について苦しみ続けていたのでないかと思いますが、では、西川吉之助、橋村徳一も川本宇之介によって苦しみ続けていたのではないかと気になってきました。「聾教育の三人」と書かれている本がありますが、本当に最後まで三人一緒に活動していたのか、疑問があります。

 それに徳川義親が高橋潔宅を訪れたのは西川吉之助が亡くなる前なのか、亡くなった後なのか、気になる所です。

 西川吉之助と徳川義親に関する文献を読んだ時、この二人の苦しみが似ていた気がしていたので、この様な考察で纏めてみました。徳川義親は救われ、西川吉之助は救われなかったという結末も気になる所です。

 徳川義親は「西川吉之助と高橋潔は愛情の人であった。」と述べていますが、川本宇之介に対しては聾教育復興会で点数稼ぎする一人としか見ていなかったのではないか?

参考文献

【徳川義親自伝 最後の殿様】 徳川義親

【口話教育の父 西川吉之助伝】 高山引房

【川本宇之介の生涯と人間性】 山本実

【人間の教師】 川本宇之介

【手話は心】 川渕依子

【手話賛美】 川渕依子

【高橋潔と大阪市立聾唖学校 手話を守り抜いた教育者たち】 川渕依子

【聾教育問題史】 上野益雄

【デフライフジャパン Vol.2】「伊藤政雄」

【日本聾史学会報告集 第5集】「徳川義親と聾唖界」 桜井強

【日本聾史学会報告集 第7集】「滋賀県聾話学校初代校長西川吉之助の生涯」 辻久孝

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