聾話学校の校長として

1928年 昭和3年

 滋賀県立聾話学校が創立し、校長事務取扱として勤務する。 聾話という名称がこの学校が最初でした。

 校長事務取扱でありながら、西川吉之助の月給は10円でした。今の価値だと、10万円になります。

 予算は年間3000円で、今だと3000万円で、教員の給料を払ったら、残りが無い状況でした。不足分は豪商であった西川が立て替える事でやりくりしていました。

 西川はこの校舎を「おそらく、こんな校舎は世界にただ一つしかないでしょう。私はこの世界唯一の校舎で、世界第一の教育をしたいのです。」と言っていました。

 初等科1年4人(男2人、女2人)、予科1年12人(男5人、女7人)の新入生を迎えて、5月16日に入学式が行いました。

  入学式の時に、西川吉之助は手話教育を守り続けた高橋潔と初めて出会いました。後に、両者の間に奇妙な関わりを持つ事になります。


西川が重点目標としたのは3つです。

 一、口話方法の研究

一、個人性を生かした適切な職業教育を健聴児以上に身をつけさせること

一、結婚問題

と聾児の為に全力を尽くしました。


  こうしてみると西川吉之助は高潔な人物であり、聾児の未来の為に財産を惜しみなく出し続けていました。もし、今後、西川吉之助みたいな人物が現れ、口話教育を推進するのであれば、手話を守る為に戦わなければならない事になりますね。手話教育を守り続けた高橋潔は複雑な心境だったに違いないと思います。