手話主義者にとって史上最悪の会議 第2回国際聾唖教育会議(ミラノ会議)
1880年 9月6日~11日(明治13年)
イタリアのミラノに聾教育者が集まり、会議が行われていた。 口話教育か、手話教育かの投票が行われ、口話教育が圧倒的な数で、勝利した。
この日から手話が国際的に認められるようになるまで、100年以上の月日を要した。
この会議の後に、聾学校から手話が無くなり、手話で指導していた聾学校の聾者の教師、聾者の校長が次から次からへと退職させられた。
聾学校では、口話ができるグループと口話ができないグループと強制的に分けられ、相互に交流しないように厳しく管理させられた。
聾者は聾学校を卒業してから、初めて手話を知り、手話で聾者同士の結びつきを強めてきた。そうして、苦難の時代を乗り越えてきた。
京都に日本最初の聾学校ができてから2年後の出来事でした。
参考文献
【歴史の中のろうあ者】
【聾の人びとの歴史】
【ド・レペの生涯】
【世界最初のろう学校創設者 ド・レペ】
【聾教育問題史】
【聾の経験】
【善意の仮面】
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