川本宇之介が聾教育と出会った日

 川本宇之介は欧米の聾学校を視察した後に日本へ帰国してから、口話教育を広めたという説が多いみたいです。

 「聾教育問題史」の中には、 川本宇之介は、大正11年から2年間、文部省から派遣されて、欧米の特殊教育の視察に回って新知識を得て大正13年7月帰国したばかりでした。西川は、川本を訪ねました。西川は、アメリカの雑誌や講義録で学んだこと、はま子にその方法を応用し、指導をしたことなど熱っぽく語り、意気投合したのです。名古屋聾学校で実践をしていた橋村も加わりました。橋村は、また新しい聾教育の英語の本を読んでいました。

 しかし、川本宇之介の伝記でもある「川本宇之介の生涯と人間性 -特殊教育先覚者としての- 」の内容では、  その日(大正9年11月25日)、川本は文部大臣の祝詞を携えて大会(第7回全国盲唖教育大会・会場名古屋市立盲唖學校・大正9年11月25日から5日間)に出席した。しかるに全国大会とはいえ、出席者数は僅か40名程度であり、川本の期待したような盛んな論議もなかった。

 更に、授業を参観した折「いわゆる身振り手真似で私には何もわからなかった」とのべているが、始めて私達がろう学校へゆき、現在の口話法で行われている授業をみてさえ、奇異な印象を受けるのが当然であるのに、川本つぃても始めて直接の経験であってみれば、しかも、手振り身振りの授業であってみれば、授業の内容など理解できぬのがむしろ当たり前であろう。

 ここに於いて、この教育の遅れを痛感し、この子等をみて、大臣の一片の祝詞を読み上げて事足れりとするには、川本宇之介の心は余りに豊かであった。

 「やらねば、やらねばならぬものが此処にある!」その時、川本の脳裡を去来したものはペスタロッチのノイホーフであり、フレーベルの生涯ではなかったろうか。

と書かれています。

 11月25日はろう者にとっては印象深い日でもあるのです。

1712年11月25日は世界初聾学校の創設者であるド・レペ神父が誕生した日。

1920年(大正4年)11月25日は日本聾唖協会が設立した日

さらに1925(大正9年)11月25日は川本宇之介が聾教育と出会った日。

となりますね。

 ちなみに第7回全国盲唖教育大会の会場である愛知市立盲唖学校の校長を務めていたのは橋村徳一です。後に共に口話教育を広める為の活動を共にする事になります。

 なぜ、川本宇之介が大正9年11月25日に名古屋市立盲唖学校で手話教育の様子を見ていたことが「聾教育問題史」には書かれてなかったのが気になります。


出典

【聾教育問題史】

【川本宇之介の生涯と人間性  -特殊教育先覚者としての-】

【日本盲唖教育史】