実は手話を使いこなせた川本宇之介

 昨年秋に伊藤政雄さんの自宅を訪問し、聾史に関する話し合いをしてもらいました。

 その中で伊藤政雄さんが東京聾唖学校に通う小学生だったある日、突然、教室に入った学友から「あの川本が手話で会話しているぞ!」と言われ、とても驚き、校長室か応接室かどうかは分からないが、現場に行ってみると確かに川本宇之介が手話で会話している所を目撃し、しかも聾唖者が使う流暢な手話でもあったので、非常に驚いたと話してくれました。

 川本宇之介は誰から手話を教わったのか、考察する為にまず、昭和7年生まれの伊藤政雄さんが小学生になったのは昭和14年以降であると考え、伊藤政雄さんが小学生時に東京聾唖学校に在籍したろう教員は以下の4名が該当します。

高木周二     (大正2年~昭和20年)

三浦浩      (明治39年~明治45年・大正2年~昭和30年)

大原省三     (昭和17年~昭和19年)

尾形(三浦)知惠子(?~昭和20年)

 ここからは私自身の考察となります。

 その中で川本宇之介と長く関わったと思われるのは高木周二と三浦浩の2名になりますね。この2名は手話法と口話法を巡り、口論していました。高木周二は三浦浩に対し、手話法と口話法のどちらを支持しているのだ!と怒っていました。  

 となると三浦浩は川本宇之介に手話を教えてあげた可能性が考えられます。この様子を見た高木周二が三浦浩は川本宇之介の所に出入りしているのだから、口話法を支持する考えに至ったのではないかと誤解されたのかも知れません。

 当の三浦浩は川本宇之介に手話を教える事によって、聾唖児及び聾唖者には手話が必要だったと認識もらいたい一心で一生懸命教えたが、手話を支持する事は無く、口話一辺倒で発言し続けていった事に失望されたのではないかと思われる。

 川本宇之介が流暢な手話を使いこなせるようになるには相当な期間に手話を学ぶ必要がどうしても生じてくる事であり、三浦浩が付きっきりで教えていった可能性があるかも知れません。


参考文献

【日本聾史学会報告書第3集】

【聾教育学精説】

【川本宇之介の生涯と人間性】

【人間の教師】

証言者

【伊藤政雄】