三浦浩が横尾義智と対等に付き合えた理由
三浦浩と横尾義智と藤本敏文の三人は「三羽烏」と呼ばれ、聾社会の発展に尽力してきました。 その中で横尾義智は新潟県小黒村(現新潟県上越市)で聾唖者でありながら、村長として村の発展に尽力しました。
聾唖者で村長を務めたのは凄い事であり、畏れ多いと感じた当時の聾唖者も少なくなかったのだろうと思われる。 三浦浩の場合は父が県議を務め、叔父は県議と村長を務めており、三浦浩の先祖は黒川村(現秋田県秋田市金足)の肝煎(きもいり)として村長の様な役割を果たしてきました。横尾義智本人は村長を務めており、三浦浩と横尾義智の先祖は城主として地域を治めており、城から出た後は大地主として暮らしていました。 そういう共通点がいくつかあり、三浦浩は横尾義智に気後れする事なく対等に付き合える事が出来たのではないかと推測します。
また、藤本敏文の場合は親戚が英田村の村長を務めていたらしく、藤本敏文も三浦浩と同様に横尾義智と対等に付き合えた理由の一つになっていました。 三羽烏は一人一人の能力だけではなく、血筋もそれなりにあった事にもなりますね。
参考文献
【三浦家代々記】
【小黒むらおさ】
【藤本敏文】
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