徳川義親が西川吉之助、高橋潔の生き様を見て、感じ取った事
西川吉之助、高橋潔に直接関わり、二人の生き様を見てきた人物と言えば、徳川義親だと思います。
徳川義親が高橋潔の娘、川渕依子に宛てた手紙の内容。 「御著書、まことに有り難う御座います。昭和15年11月の大会の日、私はどんなに感激しましたでしょう。先生が涙を流しながら、併し何事もなかったようにしておられた姿をはっきりと印象に留めております。口話と手話で先生と激論をして、初めて先生の真意を知り、考えを改めなければならないことを教えられ頭がさがりました。正しい教育者、そうして他を見まわした時、多くの教育者にあいそをつかし、教育復興会を辞職して、聾唖者の福祉の問題を特に考えるようになりました。手話も口話も要するに愛情の問題。口話法が多くの校長、先生方の点数をかせぐ手になろうとは。それを思って高橋先生をしのんでいます。
高橋先生も西川先生も愛情の人、本当に感謝しています。徳川義親」 西川吉之助先生記念像建設委員会御中に宛てた手紙の内容。 「西川さんの像、多年願っていて私自身、幾度か失敗して気にしていましたが、今年みなさまのご尽力で完成されましたことは、うれしいことです。
西川さんに対して私もまた、多くの関係者、教育者も西川さんの口話教育の絢爛たる性交に眩惑されて聾者の福祉のことも西川さんの生活のことも忘れてしまっていたのでした。西川さん一家をあれほどまでにおとしこんでしまったこと、何とも申しわけのないことでした。
私を口話法一辺倒か、ろうあ者の福祉、手話法の必要などについて教え導かれたのは大阪市立聾学校の校長高橋潔さんでした。高橋さんと散々議論して、とうとう見事に敗けて、そうして私は救われてのでした。立派な校長さん。冷静に反省すると教育者の多くが聾唖者の福祉より、自分の出世を考えていたということです。それで私は聾教育復興会から退いて福祉を主にして、ひろくろうあ者の為に尽くすことにしました。高橋さんのような校長さんがほしいものです。
西川さん、高橋さんはじめ文部省のお役人で聾唖者の為に骨を折って下さった方々の事いずれ調べておいて感謝したいと思っています。いろいろ有り難う御座います。徳川義親」
この二つの手紙の内容を見て、西川吉之助、高橋潔がどんな思いで聾者の為に、深い愛情を持っていた事がわかります。現在、西川吉之助、高橋潔、徳川義親はこの世を去っていましたが、これらの人物が残した遺産をどの様に活用するかどうか、聾社会が良くなる可能性を秘めている事だと思います。
参考文献
【口話教育の父 西川吉之助伝】
【最後の殿様】
【指骨】
【手話は心】
【髙橋潔と大阪市立聾唖学校】
0コメント