三女はま子の耳が聞こえなくなった理由

1916年 大正5年1月26日

 はま子が誕生しましたが、難産の為、※鉗子(かんし)分娩でした。


1919年 大正8年

 はま子が3歳になってもなかなか喋る気配が無く、不安になった西川夫妻は隣家に住む京都医学大学教授耳鼻咽喉科部長中村登に精密な検査を受けてもらった結果、聾と診断されました。 中村登の話では、出産の時に鉗子で頭部を挟んだ結果、両耳の鼓膜がくぼんだ為と言う事でした。西川夫妻に特殊な教育が必要と言う事を説明しました。 これを聞いた西川吉之助は目の前が真っ暗になり、大きな驚きと絶望が襲い掛かった。

※鉗子(かんし)=はさみに似た形の金属性の医療器具。手術や治療のときに、器官や組織などを挟み、牽引(けんいん)したり圧迫したりするのに用いる。止血には先端部に鉤(かぎ)のあるコッヘル鉗子と、鉤のないペアン鉗子がよく使われ、産科鉗子は大きなさじ状部をもつ。


 はま子が聞こえなくなった理由は出産時に鉗子で耳を挟んだ為である事でした。 我が子が聞こえないと診断されたら、誰だって驚き、絶望に陥るのは無理もない事だと思いますね。

 でも、今は専門家と相談して、我が子の教育方針を決めると言う事ですが、親がどの様な教育を選ぶかによって、我が子の人生が大きく左右されるのは間違い無いと思います。我が子に口話か、手話を覚えさせてやるかで、我が子が社会に出て、どんな道を歩むか違ってくると思います。

参考文献

【口話教育の父 西川吉之助伝】