娘はま子への口話教育開始
1920年 大正9年
はま子への口話教育が始まった。まず、五十音の発音から始めるが、なかなか上手く行かず、難航していました。それと並行して、読話も始める。 他に日記を毎日、休まずに書かせ続けてやり、文章力を高めていった。
口話教育を始めた頃に、西川は娘はま子一人では寂しいだろうと思い、近所で耳が聞こえない女の子も一緒に口話教育しようと考えていたが、はま子と近所の子が会ってから2~3日の間に手振り身振りでやりとりしていた為、西川はこれではまずいと思い、二人を引き離していました。
大正13年頃になると、はま子はどんな話も読話でき、発音は早口で言えるようになっていた。
そこで、気になる事があります。読話は目で、唇の動きを読み取り、何を言っているか判断する方法です。これは耳に頼る方法ではなく、目で頼る方法です。
読話の欠点は相手の話が早いと唇の動きを読み取れない時があります。他に、相手がマスクを被った時や、相手が遠く離れている所では、唇の動きが見えない場合とかあります。相手がマスクを被ったり、遠く離れている場合は手話の方が有利です。
参考文献
【口話教育の父 西川吉之助伝】
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