本格的な口話教育普及

1925年 大正14年

1月 文部省の後援を得て、名古屋聾唖学校で「第一回口話法講習会」開催。

2月 私費で「口話式聾教育」を発行。

4月 自宅を教室と寄宿舎に提供して私立「西川聾口話教育研究所」開設。

7月 文部省主催の聾教育口話法講習会が名古屋校で開かれ、講師を嘱託される。

8月 この頃からはま子を連れて全国各地を回り、口話法の講演、実演を行う。

11月22日 日本聾口話普及会を組織し、副会長に選ばれる。 

会長は徳川義親、幹事は橋村徳一・川本宇之介

 大正14年になると、西川が本格的に活動し、口話法を全国に広める為に休む暇も無く、 熱心に取りこんでいたのが分かります。

 口話ができる子、口話と手話ができる子にとっては神のようであったと思いますが、 手話しか出来ない子にとっては更なる苦しみを与えた悪魔かも知れません。

 西川が悪いとは言い切れません。我が娘が人として生きていく為には相手の話を正確に読み取り、自分の口から正確に発音できるように取りこんでいたに過ぎないと思います。周囲が西川がやった口話法を大きく評価した為、周りから讃えられてしまい、全国各地を動き回る事になったと思います。


参考文献

【口話教育の父 西川吉之助伝】