杉敏三郎に掃除と裁縫を教えたのは誰?

 杉敏三郎は吉田松陰の実弟であり、生まれつきの聾唖者であった。その杉敏三郎は掃除と裁縫が人並み以上に出来ていたと云う。

 では、杉敏三郎はいつから掃除と裁縫を始めたのか、掃除と裁縫を教えたのは誰なのか、気になります。


 杉敏三郎をよく世話したのは長姉千代であり、杉敏三郎に字の書き方を多く教えてあげたのは千代だったようです。もしかしたら、掃除と裁縫も教えていた可能性が高いと思われます。


 聾唖者の特徴の一つとして、聾唖者は耳が聞こえない代わり、目で人の動きを見たり、作業する時の手順を見て真似て実行する人が多いのです。それをしながら作業する事で熟練職人並になった聾唖者は多いのです。杉敏三郎もその特徴に当てはまります。


 杉敏三郎が掃除と裁縫を始める時、杉敏三郎から長姉千代が掃除と裁縫している所を見て自分も掃除と裁縫をやって家族の役に立てたいと申し出たのか、長姉千代が杉敏三郎に掃除と裁縫を覚えさせ、杉敏三郎の精神的な重圧を少しでも軽くしてあげたいと思いながら教えてあげたかのどちらかになると思います。


 杉敏三郎が掃除と裁縫を始めた時期については吉田松陰が亡くなった後であると思います。なぜなら、吉田松陰が自宅謹慎していた頃は仏壇に向かってぶつぶつと念仏らしき事を唱え続けており、吉田松陰が松下村塾を主催していた頃は塾生達と共に過ごしており、掃除と裁縫をやっていたという描写は見られませんでした。吉田松陰が無くなり、塾生達の多くは維新志士となり、倒幕に向けて多忙な日々を過ごす事となり、取り残された杉敏三郎はする事が無く、鬱々とした日々を過ごす事になったと思われます。それを見かねた長姉千代が杉敏三郎に掃除と裁縫を教えてあげたのではないでしょうか。


 また、長姉千代は杉家を支え続けており、杉家の家事を広くやっており、父母をよく助けており、自らの子だけではなく、兄妹の子の面倒を見たりする事で杉敏三郎もそれに倣って父母を助け、子を慈しむ習慣が出来上っていたと思われます。


  そういう意味で杉敏三郎の人格形成は長姉千代の影響が色濃く反映されていると感じられます。


参考文献

  • 【エピソードでつづる吉田松陰】
  • 【歴史の中のろうあ者】
  • 【日本聾唖秘史】
  • 【吉田松陰の唖弟】
  • 【悔されど忍】