宇都宮黙霖の略年表
1824年 文政7年(1歳)
閏8月、安芸国加賀茂群長浜に生まれる。不倫の末に生まれた子であった。
1825年 文政8年(2歳)
春までに母の元で育てられたが、父に引き取られた。
1826年 文政9年(3歳)
美証庵礼敬の養子となる。
1829年 文政12年(6歳)
義父礼敬が無くなる。
1830年 天保元年(7歳)
継父が来る。
1836年 天保7年(13歳)
大学1巻を素読する。
1837年 天保8年(14歳)
長浜の母の元へ帰る。
1841年 天保12年(18歳)
太平記、太平記評判その他多くの軍書を読み、孟子の講義を受ける。
1842年 天保13年(19歳)
春秋左氏伝の講義を受ける。
1844年 引化元年(21歳)
10月、播磨で大病にかかる。
12月、長浜に帰る。
1845年 引化2年(22歳)
1月下旬、大病が元で聾唖となる。
6月、僧籍に入り、覚了と称す。
1850年 嘉永3年(27歳)
九州に旅した。
1852年 嘉永5年(29歳)
江戸に行き、複数の学者を訪れ、筆談で意見交換した。
1854年 安政元年(31歳)
この頃から幕府は宇都宮黙霖の探索を始めた。
1855年 安政2年(32歳)
9月12日、土屋粛海の紹介で野山獄中の吉田松陰に最初の書簡及び、詩数篇を送り、意見交換を始める。
1856年 安政3年(33歳)
8月14日から9月初めにかけて、吉田松陰と文書の往復で大激論を繰り広げ、吉田松陰に倒幕を決意させる。
1859年 安政6年(36歳)
9月24日、母が無くなる。享年63歳
吉田松陰が処刑される。享年30歳
1868年 明治元年(45歳)
4月22日、「前表」
5月10日、「後表」を奉る。
10月、徳川慶喜が大政奉還する。
冬、芸藩に幽閉される。
1875年 明治8年(52歳)
故郷の長浜に帰り住むようになる。
1884年 明治17年(61歳)
父が無くなる。享年82歳
1894年 明治27年(71歳)
日清戦争が起こる。
明治天皇に従って、来泊中の伊藤博文総理大臣は
黙霖を先生と呼び、厚く慰問の言葉を述べられた。側近達は先生と呼ばれた事に大層驚いた。
1897年 明治30年(74歳)
6月頃、大病を患う。
9月15日正午頃に死亡。
1916年 大正5年
従五位を贈られる。
【宇都宮黙林吉田松陰往復書簡より引用】
0コメント