吉田松陰は単独で杉敏三郎に絵草子を読ませる事を思いついたのだろうか?
吉田松陰は実弟であり聾唖者であった杉敏三郎の為に江戸で絵草子を買って、杉敏三郎の元へ届けさせ、字を書けるようになったというエピソードがあります。
ここで気になる所があります。吉田松陰の生い立ちを調べてみると絵草子を読む事とは無縁の人生を送っており、江戸で絵草子を買う前に絵草子がどういう構成になっているのか知っていたかどうか疑問があります。
吉田松陰は幼い頃から父と叔父から厳しい英才教育を受けており、折檻が当たり前という有様でした。この甲斐もあって、少年時代に藩主の前で講釈する程の知識を身につけていました。しかし、吉田松陰のすぐ下の妹の証言によると吉田松陰は子供らしい遊びは全くしなかったのです。また、松下村塾で塾生達に教えていた頃、塾生が囲碁や将棋に熱中する事を禁じていました。
趣味らしい趣味を持たなかったかと思ったら、唯一の趣味は浄瑠璃を観賞する事でした。
浄瑠璃を観賞する事と絵草子を買う事に関連性があるか、どうかは浄瑠璃を観賞した事が無い私には思いつく事ができません。
加藤清正廟でお祈りした頃には杉敏三郎に言葉を発する事や字を書ける事にするにはどうしたらいいのか、見当がつかない状態だったのが感じられます。杉敏三郎に言葉を発したり、字を書くにはどうしたらいいのか、吉田松陰でさえ思いつかなかったのです。
そんな吉田松陰の状況を現代風にすると絵本や漫画や挿絵入りの本等に全く関心が無かった両親が聞こえない我が子に言葉を覚えさせるにはどうしたらいいのか、全く思いつかないという状況と似てると思います。
となると、杉敏三郎と同じく、全く聞こえず、少年時代は絵草子を沢山読んでいた谷三山からの助言によって、吉田松陰は江戸で絵草子を買い集めて、杉敏三郎の元へ送ったという流れになるのが最も可能性が高いと思います。
参考文献
- 【歴史の中のろうあ者】
- 【日本聾唖秘史】
- 【吉田松陰の唖弟】
- 【エピソードでつづる吉田松陰】
- 【伝記 谷三山】
- 【吉田松陰と谷三山の出逢い】
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