杉敏三郎の死と萩の乱

 明治9年2月1日に杉敏三郎は突然亡くなってしまった。

 そして、8か月後の10月28日に山口県萩市にて萩の乱が起こり、明倫館と松下村塾の門弟が多く加わっており、杉敏三郎の親族も何人か関わっており、戦死されたり、自害したりと悲しい出来事でした。

 日露戦争で活躍した乃木希典は当時の萩の乱では、実弟や恩師や自分を知る人々が亡くなってしまい、その辛さを紛らす為に放蕩生活に明け暮れる日々を送っていました。

 乃木希典でこれなので、杉敏三郎が萩の乱の頃に生きていたら、自分を知る人々や親族が次から次へと亡くなってしまうという辛い出来事には耐えられないと思います。この辛さに心身が耐えきれなくなり、何らかの異常を起こし、短期間で亡くなってしまう可能性が高いです。

 ある意味、杉敏三郎にとっては萩の乱がおこる前に亡くなったのは良かったと思うかも知れません。


【参考文献】

エピソードでつづる吉田松陰

参照サイト
萩の乱(Wikipedia)

乃木希典(Wikipedia)