口話教育の象徴として見られ続けられた西川はま子
6月17日の秋田県立聾学校同窓会創立80周年記念式典の時、それ以前に何人かに西川はま子について講演を見た時の感想を尋ね続けていました。
話を聞いた時の共通点は西川はま子を口話教育の象徴として見ていたという点です。この様に話せるようになる自信は無いとか、自分はああいう風になりたくないとか、自分は手話を使って生きていきたいとの気持ちがひしひしと感じられました。また、西川はま子は父である西川吉之助に厳しく教育させられたのは可哀そうだったとの声もありました。
自分が講演しているのに、先生、保護者は素晴らしいと感動していたのに対し、生徒達は何を言っているのか、分からないという反応を何度も見ていた為、一番伝えたい生徒達に伝えられない悔しさ、悲しさが込められていたような気がしました。
幼い頃から口話教育の象徴として見られ続けられた西川はま子はどんな気持ちで生涯を過ごしていたのだろうか?子供の頃は口話教育の象徴として、父と共に全国各地の講演で実演していたし、大人になってからも口話教育の象徴として、自分の口話教育の成果を自分の口から語っていたけど、どちらも先生、保護者等の大人には感動させたのに対し、当の子供達は理解されなかった、共感されなかったという状況を何度も見てきた筈だと思います。自分の理想を伝えたい子供達に伝わらなかったのは非常に苦しい状況だったのかも知れません。
0コメント