西川はま子の死因までの流れと病名が異なる文献

西川はま子さん 8月3日、四日市市で狭心症のため急逝した。41歳。近江八幡の紳商西川吉之助の二女で、失聴のため幼児父の愛育を受け近江八幡高女(旧制)を卒業し、大阪市立ろう学校教員近江八幡保育所等に勤め、一度結婚したこともある。多方面に学び、多方面に活動し、最近には川本奨学賞をトツプに受けた。 1ヶの文化財というべきで、石黒晶氏編纂のプリントがだされることになつた。わがろうあ界の誇でもある(F)

西川はま子死去から44日後に発表。

出典:【日本聴力障害者新聞<縮刷版>(1)】


 8月には九州の各聾学校巡回講演が組まれていた。だが…その前に、死が突然来た。7月28日八幡病院へ入院、8月2日死去。41歳。 急性血行性結核。わずか1週間。そんなばかな。血行性とは結核の末期症状・粟粒結核ではないか。はま子はどれほど無理を続けたことだろう!

西川はま子死去から48年後に発表。

出典:【難聴 知られざる人間風景〈下〉日本史に探る聴覚障害者群像】


32年7月13日、草津市浄教寺で父の17回忌法要が行われた。はま子は法要に出席し、京都を回って帰宅したが、流感からの肺炎で寝こみ、あっというまに8月2日、41歳の若さで帰らぬ人となった。 西川はま子死去から25年後に発表。

出典:【口話教育の父 西川吉之助伝】


 他に西川はま子は病死ではなく、自殺したと発言する人もおり、西川はま子の死因についてはまだ特定できていません。いつかは解明したいと思っています。