娘はま子の口話教育の成果発表

1926年 大正15年3月14日

 大阪中央放送局から、大阪医学大学教授の加藤享が、「聾唖者の口話教育」を講演し、続いてはま子が新聞記事と日記を朗読し、さらに名古屋聾唖学校の水谷、豊田の二生徒から童話と対話を放送しました。 

 放送が終わらないうちに反響を呼び、加藤宅には激励が殺到し、名も告げぬ人々から「可憐な聾唖者に何か買って下さい。」と言った金品が届きました。 そして、翌日の新聞には「涙を誘う放送、語る声も我が耳には聞こえず…。」といった記事が大見出しで掲載されました。

 それを聞いた聾児を持つ親達は自分の子供もはま子みたいに上手に発音できるようにして貰いたいと聾学校に強く要望するようになりました。 反響があまりにも大きすぎて、聾児に対する扱いが大きく変わってしまったのではないかと思います。親にとっては我が子からお父さん、お母さんと読んで貰うのが望みだった事もあったからです。 


1956年 昭和31年

 うちの母校に、はま子が来校し、講演したという話を母校の先輩から聞きました。はま子の話は分かりやすく、はっきりしていたと話していました。そして、講演が終わった後、先生から皆さんもはま子さんみたいに話せるように頑張って下さいと言われたそうです。先輩はそう言われてもピンとこなかったとの事でした。

参考文献

【口話教育の父 西川吉之助伝】

参考人
【秋田県立聾学校卒業生】