長州藩の維新志士達が宇都宮黙霖との対応について妙に慣れている件について
宇都宮黙霖に関する文献を読んでいる内に、長州藩の維新志士達が宇都宮黙霖に対する対応が妙に慣れている事に違和感を感じました。
私自身、聾唖者として生きており、聾唖者と初めて対応する人々は対応に戸惑いながら、手探りで上手く対応していく事を覚えていく事になります。
長州藩の維新志士達も宇都宮黙霖と何度も関わっている内に上手く対応していく術を覚えていったのだろうと思いますが、宇都宮黙霖と言えば、吉田松陰に倒幕を決意させた人物です。だから、吉田松陰は松下村塾の塾生達に自分が倒幕を決意したのは宇都宮黙霖との往復書簡があったからだ。と話をしていたかも知れません。また、吉田松陰には聾唖の弟である杉敏三郎がいました。吉田松陰が処刑される際の最後の別れの際、杉敏三郎は塾生達と共に吉田松陰に対する寄せ書きを残しており、塾生達は杉敏三郎と何らかの関わりがあったと推察できます。塾生達は聾唖である杉敏三郎との関わりを持つ事によって、聾唖である宇都宮黙霖との付き合い方も少しずつ自然に身につけていたかも知れません。
参考文献
- 【吉田松陰の唖弟】
- 【エピソードでつづる吉田松陰】
- 【歴史の中のろうあ者】
- 【日本聾唖秘史】
- 【勤皇の傑僧 宇都宮黙霖】
- 【宇都宮黙霖吉田松陰 往復書簡】
- 【黙霖物語】
- 【悔されど忍】
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